2006年11月29日、第8回公演『月が消えた夜に』の劇場契約のため池袋を訪れた。サンライズホールの高橋さんは大変暖かく向かい入れてくれた。「うちで池袋演劇祭に出品した劇団で受賞したこともあるんですよ。大賞になると劇場費が浮きますからね…。」と、…あの時無碍に、賞が問題ではなく池袋でやることに意味があると答えたが、後から思うと高橋さんに失礼なことをしたなと思う。…申し訳ありません。
本音はやはりやるからには賞を取り、劇場費が浮くことを目指したいです。…高橋さん、すいませんでした。
サンライズホールの帰り道、雑司が谷霊園によった。徒歩5分とかからず驚いた。何度か行っていたが、いつもは都電に乗って雑司ヶ谷駅で降りていたからだ。池袋から歩いて行ったことはなかった。2005年10月4日に亡くなった矢野裕久さんは雑司が谷霊園のロッカー式墓地に眠っているのだ。
それまで矢野裕久さんの墓地の場所を分らないでいた。葬儀にでた時以来、福島にいらしゃる妹さんに連絡が出来ないままになっていた。霊園の事務所でも、申し込みの方の名前が分らないと教えられないと言われ、フィリピンにいらしゃる弟さんになっているのか…、弟さんの名前は知らなかった。いつも共同慰霊祭壇で御参りしていた。
雑司が谷霊園のロッカー式墓地は3階建てで、いくつもの部屋にわかれている。厖大な数の墓地に『矢野家』の墓は五体あった、厖大なわりには以外に少なく助かった。いつもどれとも分らず、『矢野家』の墓にも手を合わせて帰った。
サンライズホールの帰りによった時、もう一度事務所に行った。その五つの墓で2005年10月10日(葬儀の日)に入った方を探して欲しいと頼み込んだ。いつも来ていることを覚えてくれていて幸運にも教えてもらえた。いつも「ここではないか?」と感じていたところだった。墓地の番号が13番と言うことも、…偶然だが何か感じるものがあった。
その日矢野さんの墓の前で閉館になるまでいた(何故か離れられなかった…)。
帰りまた、池袋駅まで歩いて帰った。ウィンドウを見て驚いた。…化粧がぐちゃぐちゃで自分の顔がスゴイことになっていた。
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